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Update on 2017.04.21

美濃和紙を受け継ぎ、伝統を仕事にする

【連載】長良川でつながる人々。− 美濃市を訪ねて −

隣り合ったまち同士は、あんまり関係性がなさそうで、実は深く関連していることがある。そこに川が流れていると、なおさらだ。

岐阜県を縦に流れている長良川では、古くから山あいで作られた木材や工芸品が船に乗せられ、城下町へと運ばれた。長良川があることで、さまざまな歴史や文化が生まれ、まちとまち、人と人を繋ぐように川は海へと流れていった。

そんな長良川と共に歩んできた関市・美濃市・郡上市。
それぞれのまちで生まれた歴史や伝統文化を引き継ぎながら、この地で働き暮らす人々のもとを訪ね、改めて地域と暮らすことについて考えたいと思う。



新しい人たちが芽吹き始めている美濃和紙の里


「このあたりって、霧がすごい出るんですよ。毎朝、霧で先が見えないくらい。」

ここは、岐阜県美濃市の中心部から車で20分ほどの山あいにある美濃和紙で栄えたまちだ。牧谷地区と呼ばれるこの場所は、長良川の支流である板取川に沿って家々が立ち並び、その昔は1000軒近くの家が紙漉きを生業にしていたそう。

千田崇統たかのりさんがまるごと師匠から引き継いだという工房兼住居の中に入っていくと、こうぞを煮詰めた匂いだろうか、どこか甘い香りが漂っていた。


「ここは、本当に水に恵まれているんですよ。紙漉きって、作業の工程として大量の水を使うんですが、そんな家が昔は1000軒もあったって言われていて。当時は、公務員とか道具を作る人以外、住民の9割が紙漉きをやっていたそうなので、そりゃすごい水の量が必要ですよね。さっきの霧の話も、水が豊富ということが関係してるんやと思います」(千田さん)

水に恵まれてきた場所だからこそ、その水を生かした美濃和紙が生まれ、人々にとっても身近なものとして受け継がれてきたようだ。今この地域に住む60代以上の方は、ほとんどの人が紙漉きに関わったことがあるというから驚いた。

ただ、時代とともに美濃和紙も形が変わってきていて、現在は10軒くらいが紙漉きを仕事としている。そんな美濃和紙を受け継ごうと思ったのは、どうしてなのだろう。この日は、千田さんと同じく美濃で和紙職人として活躍する若き担い手の寺田幸代さんにも来てもらい、紙漉きという仕事についてお二人に話をうかがってみた。

「私はこっちにきて丸4年です。それまでは、横浜でフリーターをしてたんですけど、30歳になった時にこれからの人生を考え始めて。ああ手に職をつけたいなって思ったときに、もともと紙が好きだったのと伝統工芸にも興味があって、この二つが叶うのは“紙漉き”だって思って。それで、何箇所か紙の産地を訪ねてみて、美濃にたどり着きました」(寺田さん)


紙漉きの産地の中でも美濃を選んだ理由は、自分がそこに暮らせるか暮らせないかだったと話してくれた。

「全国でも気になる産地を周っていたので、紙的にはどこを選んでも間違いないなって。もちろん美濃は紙の良さもあったんですけど、それよりも直感に近くて。まちの雰囲気とか、肌感覚が合うみたいなことですかね。美濃は住みたいなってすぐ思ったんです。やっぱり現地へ行ってみるのが一番だって、そのとき感じました。」(寺田さん)

ゆかりもなくつてもなく、それでも寺田さんは美濃和紙にたどり着き、和紙職人の道を歩み始めた。ただ、和紙職人はなろうと思ったら誰でもなれるものなのだろうか。

「私、しつこかったんですよ(笑)最初に来た時から和紙を生業にしたいと思っていたので、城下町の一角にある手漉き和紙のランタン屋さんで『紙漉き職人ってどうやったらなれますか?』って聞いたんです。そしたら、和紙の里会館に行ってみたらって言われて。
行ってみると、ちょうど1週間の体験コースがあるよって。締め切っちゃったけど、今申し込むならいいよって言われたので、その場ですぐに申し込みました。」


「その2ヶ月後、1週間コースに参加してやっぱりこれだって確信して。だけど私には師匠がいなかったので、しばらくは実家に戻って、アルバイトしながらお金を貯めていました。それから半年後にようやく師匠が見つかって。会いに行って面談をしてもらい、無事に師匠につけることになり、修行が始まりました。」(寺田さん)

***

「僕は逆に、紙漉きに興味があったわけじゃないんです。」(千田さん)

寺田さんは紙漉きをやりたくて美濃に行き着いたが、千田さんの場合は全く別の経緯で、美濃和紙にたどり着いたようだ。

「話すと長くなるんですが…。学生の頃からクラブカルチャーが好きで、東京とかロンドンとか、都会を巡っていたんです。だけど、そういう文化にもだんだん飽きてきて。そのあと南米の民族文化に触れた時に、自給自足というか地に足のついた暮らし方をしていて。ああ日本でもこれがしたいなと思って、岐阜に戻りました。」


「帰国してしばらくは、ここからもう少し山側の洞戸あたりで薬膳料理のお店に勤めていたんですが、そんなに給料が良くなくて(笑)それで、たまたま和紙の里会館でアルバイトを募集していたんで、始めたのが和紙との最初の出会いですかね。」

千田さんの生き方は中途半端さがなくて、いつも振り切れているように思う。ある意味、寺田さんのいっていた“直感”にも似ているのかもしれない。

「そのあと一回、和紙からは離れていたんですけど、突然電話がかかってきて。80歳の職人さんが後継者を探していて、誰かいないかっていう相談でした。
ちょうどそのとき、自分はもう料理じゃないなって思っていて。自給自足でもお金は必要だなって感じていたので、手に職あったら一生モノの強みやなって思って。それで、おれがやります!って手を挙げました(笑)」

後継者になる前提で、修行が始まった千田さん。実際に師匠が一緒に工房で立っていた期間は2年半ほどだったそう。


「1年経ったくらいの時に、師匠がそろそろ変わらんかって言ってきたんです。それで、この工房と家をそのまま買ってくれって(笑)
え、買うの!?みたいな。突然だったので、とにかくびっくりしましたよ。でも、それがあったもんで、腹くくれたのかなと今になっては思いますけどね。」

こうして、千田さんは師匠から大光工房を継いだ。ただ、千田さんのように師匠が後継者を探しているというケースはほとんどないようだ。

和紙職人は、だいたいが住居兼工房として構えていることが多く、基本的には家族で仕事を回している。そこに、余所の人を入れてまで継いでほしいということは珍しく、3名くらい弟子をとった経験があれば多いほうだと言う。

「せんちゃん(千田さん)だから任されたんでしょうね。他の知らない人だったら、やっぱり躊躇しちゃうというか。難しいんじゃないかなって思います」(寺田さん)


「たまたま近くにいたっていうのが大きいんかな。ネットでは入ってこない情報というか。近くにおって、顔知っているから電話がかかってくるというか。本当、縁とかタイミングですよね」(千田さん)

2人はこうして和紙職人になったが、やはり師匠を見つけて弟子入りするのは簡単ではないようだ。とは言え、和紙職人になりたかったら、地道に師匠を見つけるしかないと寺田さんは話す。

「ネットにも何年弟子入りしたのちとか書いてあるんですけど、どうやって弟子入りするかは書いてなくて(笑)調べても分からないから、みんな諦めちゃうんですよ。でも、そこが第一段階の山というか。私もそうですが、今でも続けている若手の職人は、しつこい人しか残ってないですよ。仕事自体も単調な作業が多いから、我慢強くないと続けられないですしね。」(寺田さん)

寺田さんは、20代の頃から伝統工芸に興味があって、どうやったら和紙職人になれるのか調べたこともあったそうだが、その時は挫折したと言う。


「弟子を取るって、教える側にとっても、やっぱり大変で。ある程度育つまで時間がかかるし、そこまで自分に余裕がある人っていないんですよね。
物ひとつ運ぶにしても、1人でやるより2人のほうが効率もいいし、本当は手伝ってもらえれば助かるんだけど。それまで責任もって面倒を見れるかっていうと、リスクもありますからね。まあ結局は人対人なもんで、最終的には合うかどうかだと思います」(千田さん)

やはり伝統工芸を仕事にするには、それなりの熱意や辛抱さも必要になりそうだ。一方で、最近では工房を構えずに共同作業所を利用しながら紙漉きをしてお金を稼ぐ主婦の方々もいるようで、紙漉きとの関わり方は人それぞれなのかもしれないと感じた。



受け継がれてきた美濃和紙を、次世代へ繋げていくこと


そもそも紙漉きの作業はどのように行われるのだろう。なんとなく紙を漉いているイメージが強いのだが、実際にはその前後にたくさんの作業があるようだ。

「最初は、楮を和紙の原料になる内皮にすることですかね。蒸したり皮を剥いだり。そのあと楮を水に浸してゴミを落として、何日か水に浸けた後に釜で煮て。それから“ちり取り”といって、一つ一つ手作業で小さなごみを取っていくんです。


それで、“ビーター”と呼ばれる機械で叩解こうかいして、繊維を細かくほぐしたら、やっと紙が漉けます。漉いたあとは重なった紙を押して脱水して、一枚ずつ干して選別して…。それでやっと和紙が出来上がります。」(千田さん)

千田さんは、奥さんや一緒に同居しているスタッフ、手伝いに来てくれている方を含めて総勢5人でこの工程を回している。一方、寺田さんは師匠と2人でこの工程すべてを回しているため、紙漉きをするのは1週間に2回くらいだという。

「漉くところはほんの一部分ですよ。私は、ちり取りしている時間が一番長いですかね。一つの作業に偏ると他の作業が進まなくなっちゃうので、その辺を見極めながら毎日のスケジュールを師匠と決めています。休んでいる暇なんて全然ないですよ。」(寺田さん)


寺田さんの師匠は、ユネスコ無形文化遺産になった“本美濃紙”を梳くことができる5人の職人のうちの1人。現在87歳だが、今でも現役で毎日工房に立ち、週末も半日以上は仕事をしているため、休みがないという。寺田さんは、すでに修行としての期間は終えており、今年の12月頃には独立する予定だが、師匠が紙漉きを辞めるまでは一緒に手伝うつもりだと話す。

「一人だと大変っていうのもありますが、やっぱり師匠の紙漉きは勉強になることがたくさんあって。動きが滑らかで、音もよくて、とにかく佇まいが違うんですよね。私なんかは気が散りやすくて『今、気い抜けてただろ』って師匠に言われることもあります。紙漉きは、とにかく漉き続けることが大切なのかなって思います」(寺田さん)

「美濃和紙はまっさらな白い紙なんで、特に違いが出やすいですね。昔の話で、この時間帯からこの時間まで喧嘩してたとか分かるって言われるくらいで(笑)」(千田さん)

お二人の話を聞いていると、1枚の紙とは言え、その紙にはそれぞれの人間味が溢れているのだと感じさせられた。
紙漉きだけじゃなくどんな技術にも言えることかもしれないが、一生学ぶことはあって終わりはないようだ。


「最近は売り先も自由になってきていて。それこそ、直接ネットで売ることもできます。だから、本当は和紙と一緒に作り手の情報も伝えていけたらとは思うんですが、そこまで全部を自分でやっていくのって正直難しくて。」(寺田さん)

「そもそも紙漉きってそんなに稼げる仕事ではないので、数をこなさないと生活していけんっていうのもあって。和紙として商品になって初めてお金が入ってくるもんで、一つの工程をのんびりやっとれへんというか。全然スローライフではないんですよ(笑)」(千田さん)

売り方ひとつにしても、自分で開拓していくこともできるのだが、昔からある問屋さんがあいだに入って流通させてくれている部分も実際には大きいようだ。結局は、それぞれが何を選択していくかに委ねられているそう。

「技術以外の面でも、原料や道具を作る人もだんだん減ってきていて。そういった意味でも、目の前の紙を漉いていれば、なんとかなる話じゃなくなっていて。色んなことを考えながら、自分にできることをやるしかないかなって思いますね」(寺田さん)


伝統を残していかなければいけない一方で、紙漉きを取り巻く環境は確実に変わってきている。それは、水や川に関しても同じようだ。

「紙すきと環境問題って、切っても切り離せないというか。小規模だから川に対して影響がないと思っていても、その1人が1000人になったら大きいでしょ。それって、日々、水に接しているから感じられている部分でもあって」(寺田さん)

「水がなくなったら自分たちは仕事もできなくなるし、生きていけなくて。じゃあ根本の水はどこから来るのかって考えると山に繋がっていて。それって山の問題だからって放っておけんのですよ」(千田さん)

紙漉きはもちろん、川や山に興味を持ってくれたり関わってくれる人が、一人でも増えたら嬉しいと話す。

「“本美濃紙”って、道具も工程もすべて昔からやってきた伝統的な方法のみで作られた紙のことなんです。だからこそ、ユネスコに登録されたという部分もあって。その構法の一つである“板干し”って、樹齢100年のトチの木の一枚板を使っているんですよね。このやり方をずっと残していくなら、今のうちに木を植えていかんと次の世代には間に合わんくて。

自分の稼ぎも大事なんだけど、それだけじゃなくて。自分たちが時代の一端を担っているという意識で引き継いでいかなきゃならんのですよ」(千田さん)


長良川は他の清流と比べても、沿岸に住んでいる人の割合が多いと言われている。それだけ、川や水が暮らしの身近にあったからこそ、伝統や文化が生まれてきたのだろう。その反面、昔から当たり前にあった環境の変化には気づきにくいのかもしれない。

「私は、自分の地元と長良川を比べたときに、なんて綺麗な川なんだって思いました。だけど、地元の人にとっては当たり前のことすぎて、認識していないんですよね。でも、私はヨソ者だからこそ、そういう部分は伝えられるのかなって思います」(寺田さん)

近くにいるからこそ、自分の暮らしと自然環境が密に繋がっていることを実感するチャンスが転がっている。そのことを意識するかどうかで、捉え方は変わっていくのだと感じた。



伝統を続けるために、大切なこと


伝統を受け継ぐということは、自分だけでなく次の世代にその伝統を残していくことでもあって、常に先読みをしていかないと続けていけない商売だと思う。とはいえ、昔から続いているものを残したい一方で、昔のままでは続けていけない部分も必ず出てきて、そのバランスを見極めながら選択していくしかないようだ。

現代の和紙職人を取り巻く環境は、決していい状況とは言えないのかもしれない。しかし、千田さんや寺田さんを見ていると、ここでの暮らしや仕事をとても前向きに楽しんでいるようで、都会で暮らす私にはちょっぴり羨ましく感じた。


千田さんと寺田さんは、同じく活躍する若手の職人や移住してきた仲間たちと協力し合いながら、美濃和紙の文化だけでなく地域全体を盛り上げて行こうと、2年前から『美濃和っ紙ょいマルシェ』というイベントも始めている。


美濃和紙や伝統工芸に興味のある方がいたら、ぜひ現地を訪ねてみて欲しい。お二人が言っていたように、現地にはネットでは得ることのできない情報が転がっている可能性がある。

そこには縁やタイミングがもちろん関係しているのだが、本当にここで働きたい、ここで暮らしたいと思う場所があったなら、めげずにいけば道は開けるのだろう。


(文:須井直子 写真:矢野航)

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